【 日本の洋菓子の起点は平戸島にあり 】長崎県平戸市は、日本で初めてポルトガル・イギリス・オランダとの国際貿易が行われた場所。西の都「FIRANDO」と呼ばれ、のちに長崎出島に商館が移転するまで20年も先んじて、南蛮貿易で活気ある街でした。砂糖は諸外国の商人によって、いちはやく上陸し、シュガーロードの起点となり日本の菓子文化は、平戸から始まったとも言える
深い歴史がここにあります。西洋菓子はポルトガルの黒船来航と共に西洋菓子のレシピも伝わりそれは藩公の茶点としての特命か献上の為に限られていたほど貴重なものでした。【 平戸藩と松浦氏 】
日本の西の端に位置し、
中国大陸とも近い場所にあります。
古代より航路の要地であり、
東南アジア・ポルトガル、
オランダ・イギリスの船舶が
松浦(まつら)家が居を構えた
平戸港に入りました。
日本にもたらされる「モノ、文化」が
最初に伝来した場所です。
鎌倉時代から明治維新まで
平戸を治めたのが松浦氏です。
その家系は平安時代までさかのぼることが出来ます。
江戸時代、松浦家は平戸藩の藩主として国際貿易の中で平戸藩を繁栄させましたが幕府によりオランダ商館を長崎出島に移転を命じられ財政難に転落。しかし改革を成功させ武家茶道 鎮信流を作り東西百菓之図を松浦家35代熈(ひろむ)が完成させるなど平戸に深い影響を与え続けてきました。