firando
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平戸島の歴史


firandoの成り立ち

いつも温かにそこに在り続ける
故郷を守りたい。
でも、そのためだけではなくて
ただ、伝えたい。


こんなにも美しく
こんなにも澄み
こんなにも優しく
こんなにも豊かな場所があること。


想いや価値観を共有することで
生まれる幸せがあります。
人はみんな
つながっているから。
そしてそれは
普遍的に求める本能です。


並列化された価値基準の時代は終わり
選択が委ねられた今


「自分らしさとは」
「自分が求める喜びとは」
問いを投げかけるのは
外側の世界ではなく
今ここに在る、
内側の世界。


削ぎ落として
心や感性が震えるものを選ぶ


たくさんの情報を削ぎ落として
限りなく、原点に戻る。


「在ること」
「本来、すべてはたったひとつ」
平戸島に深く潜って
見つけたものを表現した時
firandoは生まれました。




2つの「回帰」

firandoのコアバリューは
2つの「回帰」。


MANGETSUで表現したひとつ。
「源への回帰」


「簡単に、便利に」変わった現代。
その一方で、分離の概念が拡大し
すべてに境界線ができました。


分かち合ってきた歴史を忘れ
新しい価値基準に変化してきた一方で


「分け合う」は親愛。
そこに在るのは、穏やかな慈しみです。


生命は海から生まれ
脈々と引き継がれました。
すべては【 たったひとつ 】から始まった。


ちょっと、ひと手間。
だけど、思い出したい。
本来、すべてはひとつだったこと。


お客様と、大切な方が
笑顔で分け合うその場面を描き


本来の源へ還る
自然への回帰を表現しました。




PURIORIで表現したひとつ。
「歴史への回帰」


鎖国当時の平戸へ還り
平戸城主に献上するお菓子を作るとき
PURIORIは生まれました。
現代に、歴史の
パラダイムシフトを。


砂糖伝来
菓子文化の起点
時を重ねた歴史の層。


それは、日本の各地に
どこにでもある
その土地独自の物語です。


どんなに大規模な企業でも
どんなに潤沢な資金があっても
作り出すことができないものは
「時間の経過」です。


流行で移り変わる都市部には
根付かない唯一無二の物語が
日本の隅々に、たくさん散らばり


そうした歴史へ回帰することで
現代の豊かな文化を
より温もりを持って
受け取ることができる。


私たちは歴史を引き継いで
そしてまた歴史に還ります。


脈々と受け継がれてきた
歴史という財産もまた
firandoが伝えたいコアバリューです。


平戸島の歴史

【 日本の洋菓子の起点は
平戸島にあり 】


長崎県平戸市は、日本で初めて
ポルトガル・イギリス・オランダとの
国際貿易が行われた場所。
西の都「FIRANDO」と呼ばれ、
のちに長崎出島に商館が移転するまで
20年も先んじて、
南蛮貿易で活気ある街でした。


砂糖は諸外国の商人によって、
いちはやく上陸し、
シュガーロードの起点となり


日本の菓子文化は、
平戸から始まったとも言える深い歴史が
ここにあります。


西洋菓子はポルトガルの黒船来航と共に
西洋菓子のレシピも伝わり
それは藩公の茶点としての特命か
献上の為に限られていたほど
貴重なものでした。



【 平戸藩と松浦氏 】


日本の西の端に位置し、
中国大陸とも近い場所にあります。


古代より航路の要地であり、
東南アジア・ポルトガル、
オランダ・イギリスの船舶が
松浦(まつら)家が居を構えた
平戸港に入りました。


日本にもたらされる「モノ、文化」が
最初に伝来した場所です。

鎌倉時代から明治維新まで
平戸を治めたのが松浦氏です。
その家系は平安時代までさかのぼることが出来ます。



江戸時代、松浦家は平戸藩の藩主として
国際貿易の中で平戸藩を繁栄させましたが
幕府によりオランダ商館を
長崎出島に移転を命じられ
財政難に転落。
しかし改革を成功させ
武家茶道 鎮信流を作り
東西百菓之図を
松浦家35代熈(ひろむ)が完成させるなど
平戸に深い影響を与え続けてきました。


Photo by takishita

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